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記事タイトル:元祖風俗の街「吉原」はこうして始まった

ライター:清水剛   閲覧数:1877

2018-05-01 16:57:29

どうもー。風俗愛好家の清水剛です。

江戸時代、江戸の町に「吉原」という大風俗街があったことはご存知ですよね?
風俗街といっても、当時の吉原は今でいうソープランドのようなものでした。
現在も吉原は残っていますが、他の風俗街のような形態の店がほとんどで、そういう意味ではもう昔のなごりはありません。

ところで、この吉原はどのようにして生まれたのでしょうか。
吉原といえば知らない人はいないほど有名なのに、その実態を知る人はあまりいません。

ではここでちょっと、吉原の誕生と歴史を見てみましょうか。

【吉原の発祥】

吉原は、現在の東京都台東区千束四丁目あたりにあったようです。
しかし、これは明暦の大火(1657年)のあとに移築したもので、もとは違う場所にありました。
つまり、吉原は江戸の大半を焼き尽くした大火から再興したわけですが、なぜかこの後も幾度も大火に見舞われてしまいます。

移築前の吉原は、江戸幕府ができたばかりの1617年、日本橋の芦屋町(現在の日本橋人形町)あたりに作られました。
しかし、この頃の人形町は人家もまばらで周囲は沼地ばかりでした。

しかもこのあたりは物騒で、強盗事件が多くあまり人が近づかないような場所だったといいます。
だから、幕府が遊郭(風俗街)を作ろうとしたときに、ここが候補地となったのです。

それには2つ理由がありました。

ひとつは、周囲が沼地で治安の悪い場所は他に利用価値がないこと。
もうひとつは、遊郭はある程度街並みから外れた場所のほうがいいからでした。

まさに、当時そのあたりは遊郭を作るのに打ってつけだったというわけです。

ちなみに、「吉原」の語源にはいくつか説があります。
吉原開拓を指揮した庄司甚内という人物が、東海道の宿場町である吉原宿の出身だったからという説や、葦の生い茂る沼地を開拓したからという説があります。
葦は「悪し」に通じるというので嫌われて「良し=吉」に変えたというのです。

どちらが本当かわかりませんが、どちらが本当でもどうでもいいような気もします(笑

【吉原を作った理由】

ところで、なぜ江戸幕府は吉原を作ったのでしょうか。
それにはやむにやまれぬ事情がありました。
家康が江戸幕府を開くと、江戸は急に人口が増えました。
日本中から人が集まってきましたが、そのほとんどが男でした。

車もない時代に遠くから江戸に移住するのは大変なことですから、やってくるのは男ばかりというのもわかる気がします。
その頃の江戸の人口は約15万人くらいといわれています。

そのほとんどが男なのですから、江戸の町はとんでもない女不足だったのです。
そのため結婚できない男があまりにも多くて、幕府は男の性処理のための施設を作らなくてはならなかったのです。

徳川家光の時代になると、さらに吉原の需要が高まりました。
というのは、家光が大奥を作ったからです。
当時、大奥には3千人の若い女がいたといいます。

ただでさえ女不足なのに、結婚適齢期の若い女が3千人も将軍様に独占されては、ますます女が足りません。

また、参勤交代も始まったので、各地から多くの武士が集まるようになり、吉原の需要は高まるばかりでした。
こう考えると、吉原という大風俗街を作った当時のお役人は、先見の明があったことになりますね。

【明治政府により吉原が非合法となる】

江戸時代には民衆に支持されてきた吉原も、時代が変わって明治になると途端に受難が始まりました。
明治になって文明開化を急ぐ政府にとって、吉原はあまり好ましい存在ではなかったのです。

つまり、多くの外国人が訪れるのに、吉原という大風俗街が首都東京にあるのはいかがなものかというわけです。
こうして、江戸初期から続いてきた吉原の存在が危うくなってきました。

明治5年の「娼妓解放令」によって吉原は非合法となり、さらに「太政官布告295号」が発布され、吉原の遊女5000人が一斉に解放されることになりました。
しかし、解放されても行き場のない遊女は私娼になるしかなく、かえって混乱を招く結果となってしまいました。

【まだ続く受難の時代】

吉原にはさらに不幸が続きます。
明治の終わりから、吉原は何度も大火や災害に見舞われたのです。

明治44年(1911年)大火により全焼。

大正12年(1923年)関東大震災で全焼。

昭和20年(1945年)東京大空襲で全焼。

もう、何かに呪われてるとしか思えませんよね。

そしてついに、昭和21年(1946年)にGHQによる公娼廃止で吉原は幕を閉じることになります。
その後「赤線」が制定されると、吉原は再び活気を取り戻しますが昭和33年(1958年)の赤線廃止により、吉原は事実上姿を消すことになりました。

しかし、吉原は昔とは形を変え、風俗街となって現在も続いています。
ホントに、吉原ってどこまでタフなんだって思いますよね?

現在の風俗店では写真で指名するのが当たり前ですが、これを最初に始めたのは吉原だといわれています。
また、大きな風俗街ならどこでもある「風俗店マップ」を最初に作ったのも吉原です。

日本最初の風俗街は、現在も生き延びて風俗業界の基礎を作りました。
東京で風俗といえば新宿とか池袋ばかりに目がいきますが、たまには吉原で遊ぶのも昔ながらの風情があっていいかもしれませんよ。

ライタープロフィール

清水剛

清水剛 風俗愛好家

風俗をこよなく愛するフリーライター。 ただし、風俗には「愛」がないと嘆いてもいる。 アダルト記事を中心に執筆活動を展開し、某スポーツ紙の電子版に3年以上にわたってアダルト小説を連載中…

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