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記事タイトル:江戸時代の大衆風俗「岡場所」ってどんなの?

ライター:清水剛   閲覧数:3117

2018-08-15 18:25:29

風俗愛好家の清水剛です。

今日は岡場所について書いてみたいと思います。

岡場所というのは江戸時代にあった遊郭のことで、吉原のように幕府公認の遊郭と違って、非公認の遊女屋が集まった遊郭のことです。

岡場所は、江戸時代の寺社門前町などにも進出して盛り場を形成していたといいますから、すごい勢力があったようです。

つまり、岡場所は町を発展させる原動力になっていたということですが、僕たちが習った日本史の教科書にはそんなことは書かれていませんでしたね(笑)

岡場所のルーツは飯盛女と呼ばれる遊女たちで、江戸市中のあちこちに拠点があったことから、大きく発展していきました。

当時遊郭といえば吉原が有名ですが、吉原は格式が高い上に料金も高く、いろんなしきたりがあってかなり面倒だったようです。

それにくらべて岡場所は、庶民でも安い料金でスッキリできるから重宝されていました。

ちなみに、岡場所は幕府非公認なのでこっそり営業していたかと思いきや、意外に堂々とやっていたようですから、幕府も大目に見ていたのでしょうね。

【岡場所が発展した理由】

調べてみると、岡場所が発展したのは吉原が移転してからのようです。

吉原は、最初は現在の東京日本橋人形町あたりにありました。

それがのちに、現在の東京都台東区千束近辺に移転したわけですが、人形町と比べると千束は辺鄙な場所で、行くだけでも大変だったようです。

それにくらべて、岡場所はあちこちにあるから行きやすいし安いので、庶民ウケしていたわけですね。

本来なら岡場所を取り締まるべき立場の町奉行所も、見て見ぬふりをしていたようですから、非公認でも営業しやすかったのでしょう。

つまり、非公認なのにおとがめなしなんです。

こうなると、誰でも調子に乗りますよね(笑)

そのせいかどうかわかりませんが、岡場所はドンドン大きくなって、しまいには門前町を作るのにひと役買うほどに力をつけていきました。

【子供と呼ばれる遊女】

ちなみに、岡場所では遊女は「子供」と呼ばれていたそうです。

実際には20台後半くらいの女性が多かったので、なぜ子供と呼ばれていたのか不思議な気がしますが、岡場所では一部の遊女屋のことを「子供屋」と呼んでいたそうなので、そこから遊女のことを子供と呼んだのかもしれません。

なぜ子供屋と呼んだのかはわかりませんが、なにしろ非公認ですから、そういう呼び方でごまかしていたのでしょう。

ちなみに、当時の遊女は貧しい家の娘が売られてくることが多かったのですが、岡場所の遊女は結婚していたり子供がいる女性もいたようです。

つまり、貧しいのは貧しいけど、売られてきたわけではなく、むしろ現代の風俗嬢の中にいるような、家のローン返済のために働く人妻と同じようなものかもしれません。

【江戸時代は遊郭通いもオープン】

現代では、結婚している男性の風俗通いがバレたら、ちょっと大変なことになってしまいますよね。

世の奥さん方は、亭主の風俗通いにあまり理解をしめしてくれないことは、この記事を読んでいるお父さん方もよく知ってることだと思います(笑)

しかし、江戸時代はそうではなかったようです。

男が遊女と遊ぶのはごく普通のことで、自分の亭主が遊女を買ったからといって、目くじらを立てる奥さんはいませんでした。

たぶん、奥さんにしてみれば、「まあしょうがない」という感じだったのでしょうね。

うーん。

男にしてみれば、何ともうらやましい話ではないですか。

ここまで読んで、「僕は生まれる時代を間違えたのかなぁ」なんて思った人もきっといるはずですよ(笑)

まぁ、旅籠には必ずといっていいほど飯盛女と呼ばれる遊女がいた時代ですから、旅行も単なる観光地めぐりではなく、宿屋に泊まることも大きな楽しみだったはずです。

つまり、当時は今よりずっと手軽に風俗遊びができたわけです。

こうしてみると、江戸時代って重ね重ねうらやましい時代ですよねぇ(笑)

【岡場所取り潰しの黒幕】

だけど、そんな岡場所も徐々に衰退していきました。

それは、寛政5年(1793)と天保12年(1841)に、江戸の多くの岡場所が取り潰しに遭ったからです。

どうしてそんなことになったのかというと、僕の推測では、たぶん吉原側の差し金だろうと思います。

岡場所が発展すると吉原は儲かりませんからね。

だから、裏でそういう力が働いたのではないでしょうか。

吉原って、結構あくどいですね。

まぁ、自分たちが生き残るためにライバルを蹴落とすのは、いつの時代のどこの世界でも同じということでしょうか。

ちなみに、2度の撮り潰しで行き場のなくなった「子供」たちは、吉原で働くことになったそうです。

吉原に送られた子供たちは、その後立派な遊女に育ったのかもしれませんが、彼女たちにとって岡場所と吉原のどちらが住みやすかったのかはわかりません。

遊女たちの暮らしは、たぶん吉原のほうがよかったと思います。

しかし、岡場所ならいいパトロンがいれば遊郭を持てたといいますから、頑張れば大出世も夢ではありませんでした。

当時、遊郭の主人になるなんてことは、とても普通の人では及ばないような大出世だったようです。

だから、岡場所で働く女性の多くは遊郭を持ちたいと思っただろうし、努力しだいでそれも可能だったわけです。

だけど、吉原ではそんな夢は持てません。

現代風にいえば、風俗嬢も努力しだいで風俗店の経営者になれるのと同じように、岡場所には遊女のサクセスストーリーがあったのです。

ライタープロフィール

清水剛

清水剛 風俗愛好家

風俗をこよなく愛するフリーライター。 ただし、風俗には「愛」がないと嘆いてもいる。 アダルト記事を中心に執筆活動を展開し、某スポーツ紙の電子版に3年以上にわたってアダルト小説を連載中…

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