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記事タイトル:吉原を存亡の危機に追い詰めた飯盛女とは?

カテゴリ: 風俗総合

閲覧数:263

投稿日時:2018-08-08 23:04:16
ライター:清水剛

風俗愛好家の清水剛です。

江戸時代に遊郭という、今の風俗みたいなものがあったのはご存知かと思います。

遊郭といえば、代表的なものは吉原ですが、この吉原を存亡の危機に追い詰めたものがありました。

それは、旅籠(はたご)などで働く飯盛女という女たちの存在です。

飯盛女というのは、その名のとおり旅人に食事の世話をする女のことです。

しかし、実際には食事の世話だけでなく、旅人の下の世話をする女性も多かったようです。

男が数多く集まれば、自然とそういう職業の女も集まるというのは、いつの時代も変わらないようですね(笑)

では、どうして宿場町に飯盛女がいるのかというと、江戸幕府が宿場に遊女を置くことを許可しなかったからです。

だから、食事の世話をするという名目で、事実上の遊女を置くようにしたようです。

江戸幕府が宿場に遊女を置かせなかったのは、風紀が乱れるからなのでしょうが、これは現代の警察が風俗を取り締まるのと共通するものがありますね。

宿場町では遊女を置きたかったようですが、当局はそれを許可しませんでした。

では、どうして宿場町では遊女を置きたがったのでしょうか。

旅人は、夕方になると旅籠に泊まって翌朝出かけますが、宿場町には旅籠がたくさんあるから、泊まる宿は選び放題なわけです。

その中で、飯盛女という遊女がいる旅籠といない旅籠なら、旅人はどっちに泊まりたがるでしょうか。

もう答えはわかっていますよね。

飯盛女がいるかいないかで、旅籠の売り上げは大きく違ってくるのです。

【吉原を脅かした飯盛女】

では、この飯盛女がどうして吉原を存亡の危機にまで追い詰めたのでしょうか。

当時、男たちが今でいう風俗遊びをしたいなら、吉原などの遊郭に行かなければなりませんでした。

しかし、遊郭で遊ぶには意外とお金がかかったようです。

吉原などの遊郭にいる遊女の最高ランクは花魁(おいらん)と呼ばれますが、この花魁を抱くには、とても普通の人では出せないほどの大金が必要でした。

また、吉原は格式が高く、花魁でなくても、金さえ払えばいい女が抱けるというわけではなかったのです。

これって、結構面倒ですよね?

しかも、当時は車も電車もない時代ですから、吉原の近くならいいけど、ちょっと離れた場所だと遊郭まで行くだけでも大変でした。

その点、飯盛女なら宿場町はもちろん、旅籠さえあればどこにでもいたし、格式もなければ料金も安かったので、手軽にスッキリしたいなら遊郭より断然飯盛女のほうがよかったわけです。

だから、巷に飯盛女が増えると吉原が衰退するということは、実際にあったようです。

でも、しばらくするとまた吉原が盛り返すんですよね。

結局吉原はしぶとく生き残るんです。

この構図は現代の風俗にも当てはまるような気がします。

激安風俗店がたくさんできると、高級風俗店は客足が落ちます。

しかし、だからといって高級店がつぶれることはあまりありません。

それは、激安店だと性病が心配だったり、いい女がいないなど、風俗遊びの通には歓迎されないからです。

いつの時代も金持ちはいるもので、現代でも激安店がある一方で高級風俗があるように、江戸時代も「高くてもやっぱり吉原がいい」という客も多かったのです。

つまり、飯盛女は吉原を脅かすこともあったけど、所詮激安風俗みたいなものでしかなかったということです。

【飯盛女の多くは貧しい家の娘】

ところで、飯盛女として働くのはどういう女性だったのでしょうか。

これは飯盛女に限ったことではないのですが、当時遊女として働く女性は、ほとんどが貧しい家の娘で、借金のために遊郭に売られていったのです。

飯盛女の場合は遊郭ではありませんが、宿場町に元締めみたいな人物がいて、そこで管理されることが多かったので、貧しい家の娘たちはそこに売られました。

このように、貧しい家から娘を調達してくる男を女衒(ぜげん)と呼びました。

女衒は数十両の金で娘を買って、それにいくらか上乗せして遊郭や宿場町に売ることを商売にしていました。

遊女や飯盛女は、50両で売られた娘なら、50両以上稼ぐまで客を取らされましたが、これは並大抵の苦労ではなかったようです。

遊女や飯盛女の多くは性病になったり妊娠と堕胎を繰り返したり、過酷な労働のために耐えきれず、ほとんどが20代の若さで命を落としたといわれています。

【飯盛女はしっかり管理されていた】

飯盛女は当時の幕府が黙認する形で客を取っていましたが、幕府は何もしなかったわけではなく、宿場ごとに飯盛女の数を制限していたようです。

つまり、きちんと管理されていたわけで、この点では現代の風俗取り締まりよりしっかりしていました。

だって、現代の警察は新宿の歌舞伎町に風俗嬢が何人いるかさえ、正確に把握していないでしょうからね。

ちなみに、当時は気に入った遊女や飯盛女を自分の愛人にする旦那もいたようですが、中には遊女や飯盛女と結婚することも少なくなかったようです。

えっ、遊女と結婚?

と驚く人もいるでしょうね。

愛人にするならまだわかりますが、遊女や飯盛女と結婚するって、現代でいえば風俗嬢と結婚するようなものです。

風俗嬢と結婚したい男はあまりいませんよね。

もしいても、自分の妻が風俗嬢だったことは隠そうとするのが普通だと思います。

でも、江戸時代はそうではないんです。

むしろ、遊女や飯盛女と結婚するのが自慢だったといいますから、現代の感覚ではちょっと理解に苦しむところがあります。

ライタープロフィール

清水剛

清水剛 風俗愛好家

風俗をこよなく愛するフリーライター。 ただし、風俗には「愛」がないと嘆いてもいる。 アダルト記事を中心に執筆活動を展開し、某スポーツ紙の電子版に3年以上にわたってアダルト小説を連載中…

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